東京大学大学院IHSプログラム田尾陽一講演報告

カテゴリ: 報告日:2016/11/04 報告者:SanoTakaaki

2016年6月24日、東京大学大学院博士課程のIHSプログラムにおいて、当会理事長の田尾陽一の講演「ふくしま・飯舘村の生活・産業の再生に向けて」が行われました。参加した西村啓吾さんの報告です。

※この記事は、東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム」のイベント報告に掲載されているものです。オリジナルは以下をご覧ください。

田尾陽一氏講演会「ふくしま・飯舘村の生活・産業の再生に向けて」報告

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2016年6月24日(金)にNPO法人「ふくしま再生の会」理事長を務める田尾陽一氏より「ふくしま・飯舘村の生活・産業の再生に向けて」と題したご講義をいただいた。講義においては、まず、「ふくしま再生の会」の発足とこれまでの活動についてお話をいただき、最後に東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を発端とする福島で起こった一連の問題について田尾氏のお考えをお話しいただいた。

「ふくしま再生の会」は2011年に「新しい公共空間の創造」を目指す「自立して思考する諸個人」が集まり、「現地で/継続して/(村民と)協働して/事実を基にして」「ふくしま・飯館村の生活・産業の再生」を行うことを目的として設立された認定NPO法人である。福島第一原子力発電所の事故は明確な人災であり、発電所は事故を収束させ村民が安心して帰村し農業を営むことができるように施策を打つべきであるという認識を持って、避難中の留守宅や農地・山林を使って独自に調査と実験を行い、得られたデータを地域再生のために村民・社会・行政へ提供し提言を行うことを村民らと合意し活動を行ってきた。研究機関や企業と比べれば規模は小さいものの、目的に共感した250名超の個人会員と6つの団体会員が各分野・業界から集まり、福島の動向をつかむのに有用で豊富な調査結果を得ることができているように報告者には思えた。

講義において報告者が注目したのは、福島の現状に対する国外の反応と国内の反応の差異に関してである。「ふくしま再生の会」は震災・事故後の福島の様子を世界へ伝える活動として、2012年および2013年にSGRAスタディ・ツアー「飯館村へ行ってみよう」という飯館村の被災区域の訪問と村民との懇談を行うツアーを企画し、これにはアジア・ヨーロッパ・アメリカなど世界各国から参加者が集まった。そこでの参加者らの反応は非常に良好だったようであり、おそらく福島の現状に対して客観的な認識を持つことができるようになったのではないかと思われる。

では、それに対し、日本国内においての人々の福島問題に対する認識はどうであろうか。地震そのものによる被害・原発事故の発生による周辺地域の放射性物質による汚染とそれに伴う避難措置、除染による農地の不作化や農地利用の禁止措置による離農といった被害も甚大なものであるが、それと同時に、放射性物質をめぐるマスコミやSNSを通じた風評被害による農作物の売れ行き減少といった問題も生じている。現在では、福島県産の農作物の安全性が各所で示されており、科学的な根拠のある膨大な調査結果が積みあがっているにもかかわらず、それらの情報を信用できず福島県産の農作物を買わないという選択をする人々も未だに多く存在するように感じる。こうした現状は、人々の科学に対する不信や政治に対する不信が原因となっていることは否めないように感じられる。

同じ福島県内においてすら、甚大な被害を被った一部の被災地域とその他の地域との間では認識に隔たりがあるということも講義で学んだ。

報告者はこうした問題に対し、自分には現在そして将来的に何ができるのだろうか、どのように関わることができるのだろうかという疑問へのヒントを得たいと思い、講義の最後に質問をした。専門的な科学を学んでいる立場から、科学者には福島県産の農作物の安全性等に関する証明が人々の意識の中に浸透されるよう発信することが求められており、報告者には未熟ながらもバックグラウンドを活かしてその手伝いができるのではないか、そしてそれが報告者の立場を最大限に活かすことができる福島への関わり方ではないかという考えから、「人々に伝えるときにどのようにして説得力を持たせようと考えているのですか。」という質問をした。大学時代に素粒子物理学を専攻したという田尾氏も報告者のような考えでそのバックグラウンドを活かした活動をしようとしているのではないかと思っていたが、田尾氏の答えは予想に反して「説得なんてしない。」というものであった。

初めは報告者の質問の仕方が悪く、意図した“福島への理解が進んでいない福島の外の人々への説得力”ではなく、“被災した福島の人々への説得力”をどう高めるかという意味で伝わってしまい勘違いが生じたのかと考えた。確かに、被災した人々に対しては説得などではなく個人対個人の信頼関係が重要で、田尾氏がしてきたようにそのコミュニティの中に溶け込んで同じ側に立ち、協働して活動していくことが求められていたのであろうとは思う。しかし、福島の農作物の安全性といった情報を社会・世界・一般大衆に対して発信するという場合、情報の信頼性はそれを発信する機関や携わる人間の信頼度に左右され、その指標として機関のそれまでの功績や構成員のバックグラウンドが大きな意味を持つのではないだろうか。そして、発信した情報が人々に信頼されないことで、意識を変えるといった影響を与えることができなければ、時間をかけて集めてきた研究調査の結果が十分に活かされなくなってしまいもったいないのではないかと報告者は考えた。

講義内では上記のような答えにまでしかたどり着くことはできず、納得できる答えを得ることはできなかったが、田尾氏のお言葉の意味を再考し見えてきたものがあった。それは、助けを求める人々が真に望んでいるものは何かという視点である。飯舘村の村民の方々が望んでいることは、福島の安全の科学的立証なのだろうか、協働することそれ自体だけで十分に力になれるのかもしれない。報告者には想像できていないようなことがまだまだたくさんあるのだろうと浅薄ながら想像された。

報告者は体の機能が弱くなってしまったり、一部を欠損してしまったりしたことで望む人生を生きることが困難な人々が世界にたくさんいることを知り、そういった人々を救いたいという思いを持って再生医工学研究に取り組んでいる。報告者には身近にも病気を抱える人がいるため、そういった人に求められているかどうかを意識しながら研究に取り組むことができるが、そうした意識を忘れてしまうことも多い。救うことができるのは不特定の人々ではなく一人の人間である誰かなのであり、その誰かの声に耳を傾けなければ独りよがりの研究になってしまう、講義を通じてそうした大切なことまで学ぶことができたのではないかと感じている。




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