飯舘村アートプロジェクト村内視察レポート1

カテゴリ: 報告日:2019/05/22 報告者:SanoTakaaki

北川フラム氏とアーティストとの飯舘村視察会レポート

飯舘村のアートプロジェクトの立ち上げがはじ まった。5/19 全国より北川フラムさんが率いる 総勢 19 名が福島駅に到着し田尾さんがナビ ゲートするマイクロバスで飯舘村へ向かった。

最初にバスを止めたのは佐須峠の中腹、 田尾さんが飯舘村の被災状況、高圧電線がこの目の前を東京のために通過する話を語り、飯舘村は景観こそ価値がありそれを守りたいと話し視察ツアーがスタートした。フラムさんは人の話を傾聴するとき下を向く姿が印象的だ。

見えない放射能汚染。しかし美しい村を無言で眺めるアーティスト達。

11:30 氣まぐれ茶屋ちえこ、事故後8年を経てようやく今年5⽉に営業再開。店でランチをとる。

村の若手村会議員佐藤健太さん、牧場を再開し 始めた山田豊さんも合流。本プロジェクトへの意気込みが伺える。東京大学溝口先生とふくしま再生の会二宮さんは今後の連携を考がえランチに参加した。

ふくしま再生の会飯舘事務所(滑)へ移動。 菅野宗夫さんがアートの力で村おこしをと挨拶する。ここでもフラムさんしっかり傾聴される。

水と木の神様であった草野神社が明治三年に綿津見神社と改名したと話す宮司の多田さん。飯舘村の歴史に詳しい。

車窓から、フレコンバッグの山々を見て、飯舘村の現状を知るアーティスト達。

飯舘村役場に設置された放射線計測器の前で、放射線量が下がったことを説明する田尾さん。

村で唯一の帰還困難区域の入口、長泥ゲートで放射線量をはかる。訪問を歓迎しないガードマンが、ラジオを大音量で鳴らし、そこは私有地だから入るなと威嚇する。アーティストは、特別な場所であることを体感する。


村を巡った後、佐須公民館で、村民/アーティスト座談会がはじまった。佐須行政区長の菅野宗夫さんが、自然の恵みがある地区が被害を被った。そして、自然の恵みがあるから都会があるという挨拶を口火に、ぽつりぽつりと話が交わされ始めた。


北川フラムさんは、田尾さんとのめぐり合わせがあり、2年前から飯舘村をアートの力で再生できないかと話してきたという。昨年は、バスを仕立て一泊二日で大地の芸術祭(新潟越後妻有)を飯舘村の関係者と見てもらった。今回は5人程度のアーティストが集まればいいと思っていたが、作家をはじめ、事務局を手伝いたい人など 15人を超える人が集まり感謝している。本日の飯舘村見聞後 6月には、アーティストに集まってもらい今後の進め方を話し合える機会を開くと述べた。
北川氏は、つづけて東日本大震災に関することを語りはじめた。瀬戸内芸術祭の流れで石巻市を手伝うことになったという。 国や行政は、津波で家族や身内を亡くした人をまとめて支援しようとする。一人ひとり想いが異なる。アーティストも一人ひとりに寄り添うようなことができなければ、被災した人の心は癒やされないと。

石巻や新潟の大地の芸術祭のつながりで複数のサポート活動を行って来た。たとえば柏崎刈羽原子力発電所では、震災の後、東京電力の末端労働者の子弟達が、表には出ることがない凄まじいイジメを受けている。彼らを救済する活動を行っていたという。
また、津波の爪痕を残そうとする学校保存の活動は難航している。多くの児童が亡くなった大川小学校と対象的な門脇小学校、複雑な親の心境がある中で合意形成を取ることは極めて難しいと語る。 石巻の海岸地区では、津波で多くの命を落としたが、やはり海と生きてくという彼らに、瀬戸内芸術祭で基調とする海との関わりを話した。 アートの力で人に生きる勇気を与えていることが垣間見えた。

田尾さんはアーティストに語る。 ふくしま再生の活動も、何かをやるとあらかじめ決めて進めて来たわけではない。支援者という立場でもなく、現地で、協働して、継続して活動するという原則を決めているだけだ。換言すれば、やりたい人がやるというこの指止まれ方式である。チームがたくさんできてしまうが、会員が 300人を下回らず増える状態にある。 いつも何をやろうかとみんなが考えて進んでいると、ふくしま再生の会の進め方を説明した。
村の若手村会議員の佐藤健太さん。原発事故で一気に課題が表面化したが、日本には同じ課題を持った地区も多いはず。ただ、自ら動いていかないと村は終わってしまう。商工会青年部も積極的に本プロジェクトに関わっていきたいと話した。

松塚の畜産業の跡取り  山田豊さんは、昨年 大地の芸術祭の視察に同行した。妻有という厳しいところでも輝く笑顔で働くお母さん達を見て感動した。この村でも少しの可能性があるのなら積極的に協力したいと述べた。

小林美恵子さんは、若いアーティストに向かっ て、飯舘村に来るのに不安はなかったのと尋ねる。私もがんばろうと思うけど怖い話を聞くとしょんぼんりとする。だから、再生の会の人とかみなさんと合流し勉強したいと思ってここに来たと笑顔で話す。

作家、開発好明さんは、3月11日以降仮設住宅などで暮らされている様々世代の方々の食べ物や、遊びなどの昔話をお聞きし、青森から福島にかけての湾岸地域の言葉の変化、方言を記録しそれをマップ上で誰でも閲覧できる図書館を後世に残すプロジェクトを進めている。
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彼は、福島の人から、石巻市などにボランティアが多く入るが福島にも来てほしいとい言われたことがあり、その後意識して、福島にフォーカ スしているという。震災による津波で被災した街とは異なり外見的にはなんの被害もないこの地 が 6 年間も全村避難したことは重い。 すでに飯舘村に入り活動をはじめられているが、今回もなにか関わりたいと話した。
多摩美術大学の日本画教授でもある岡村桂三郎氏は、埼玉でお米も作っている。最近、特にイノシシの被害で困っている。飯舘村は人と自然のバランスが素晴らしいと思う。けど、飯舘村にはやはり構えて入村した。放射能という見えない不安があったからだが線量計を貸出してもらって不安解消につながった。なにか力になりたい。

村民側からもアーティストに向かってそれぞれ のメッセージを送った。(詳細後報)
菅野永徳さん、佐藤公一さん、菅野啓一さん


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