活動報告

再生短信バックナンバー (創刊1号~32号)

カテゴリ: 報告日:2017/09/08 報告者:SanoTakaaki

2015年7月より始まった若林記者による「再生短信」。ついに33号となりました。
活動の中で見えてくる、その時々の心の風景を少しでも感じていただけたら幸いです。
(各号をクリックすると拡大して表示されます)
PDFファイルでのダウンロードは以下を右クリックして「リンク先を保存」してください。
 1~4号  5~8号  9~12号  13~16号  17~20号  21~24号  25~28号  29~32号

JISSスタディツアー報告

カテゴリ: 報告日:2017/07/04 報告者:SanoTakaaki

2017年6月17~18日、1年間の留学を間近に控えたJISSの学生8名が飯舘村を訪れました。

【1日目】
*宗夫さんより「飯舘村について」「事故から現在まで 」などのお話し
*村内視察:山津見神社~比曽(啓一さん宅イグネ)~長泥バリケード~飯樋小学校~村役場
~高橋日出夫さんハウス~山田猛史さん牧場+佐藤聡太さんのお話し
*千恵子さんより「飯舘村での暮らしと今」などのお話し



【2日目】
*点滴栽培ハウス見学(ハウスチーム野々垣さんより)
*田んぼ電気柵設置作業
*村内視察:燃焼実験炉~小宮マキバノハナゾノ(大久保金一さん)~測定専用車車庫
*宗夫さんからみなさんへの期待


わずかな時間で理解することはとうてい叶いませんが、見たまま、感じたままを伝えてもらえればと期待しています。
参加者の感想はこちら。
「JISS第3回スタディツアー参加レポート」

再生の会リーフレットができました

カテゴリ: 報告日:2017/04/28 報告者:SanoTakaaki

ふくしま再生の会の全体像を、できるだけ簡単に知っていただくためにリーフレットを作成しました。一人でも多くの方が現実の姿を見たり、活動に参加したりするきっかけ作りに役立てていきたいと考えています。

おもて面

中面

PDFファイルはこちら
実物はA3両面印刷6つ折りで、定型長3サイズの封筒に入るようになっています。
「知人・友人に配りたい」という方は事務局までご希望の部数をお知らせください。ご自宅等へ郵送いたします。
(当ページ下のアドレスまでメールしてください)

東京大学大学院IHSプログラム田尾陽一講演報告

カテゴリ: 報告日:2016/11/04 報告者:SanoTakaaki

2016年6月24日、東京大学大学院博士課程のIHSプログラムにおいて、当会理事長の田尾陽一の講演「ふくしま・飯舘村の生活・産業の再生に向けて」が行われました。参加した西村啓吾さんの報告です。

※この記事は、東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム」のイベント報告に掲載されているものです。オリジナルは以下をご覧ください。

田尾陽一氏講演会「ふくしま・飯舘村の生活・産業の再生に向けて」報告

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2016年6月24日(金)にNPO法人「ふくしま再生の会」理事長を務める田尾陽一氏より「ふくしま・飯舘村の生活・産業の再生に向けて」と題したご講義をいただいた。講義においては、まず、「ふくしま再生の会」の発足とこれまでの活動についてお話をいただき、最後に東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を発端とする福島で起こった一連の問題について田尾氏のお考えをお話しいただいた。

「ふくしま再生の会」は2011年に「新しい公共空間の創造」を目指す「自立して思考する諸個人」が集まり、「現地で/継続して/(村民と)協働して/事実を基にして」「ふくしま・飯館村の生活・産業の再生」を行うことを目的として設立された認定NPO法人である。福島第一原子力発電所の事故は明確な人災であり、発電所は事故を収束させ村民が安心して帰村し農業を営むことができるように施策を打つべきであるという認識を持って、避難中の留守宅や農地・山林を使って独自に調査と実験を行い、得られたデータを地域再生のために村民・社会・行政へ提供し提言を行うことを村民らと合意し活動を行ってきた。研究機関や企業と比べれば規模は小さいものの、目的に共感した250名超の個人会員と6つの団体会員が各分野・業界から集まり、福島の動向をつかむのに有用で豊富な調査結果を得ることができているように報告者には思えた。

講義において報告者が注目したのは、福島の現状に対する国外の反応と国内の反応の差異に関してである。「ふくしま再生の会」は震災・事故後の福島の様子を世界へ伝える活動として、2012年および2013年にSGRAスタディ・ツアー「飯館村へ行ってみよう」という飯館村の被災区域の訪問と村民との懇談を行うツアーを企画し、これにはアジア・ヨーロッパ・アメリカなど世界各国から参加者が集まった。そこでの参加者らの反応は非常に良好だったようであり、おそらく福島の現状に対して客観的な認識を持つことができるようになったのではないかと思われる。

では、それに対し、日本国内においての人々の福島問題に対する認識はどうであろうか。地震そのものによる被害・原発事故の発生による周辺地域の放射性物質による汚染とそれに伴う避難措置、除染による農地の不作化や農地利用の禁止措置による離農といった被害も甚大なものであるが、それと同時に、放射性物質をめぐるマスコミやSNSを通じた風評被害による農作物の売れ行き減少といった問題も生じている。現在では、福島県産の農作物の安全性が各所で示されており、科学的な根拠のある膨大な調査結果が積みあがっているにもかかわらず、それらの情報を信用できず福島県産の農作物を買わないという選択をする人々も未だに多く存在するように感じる。こうした現状は、人々の科学に対する不信や政治に対する不信が原因となっていることは否めないように感じられる。

同じ福島県内においてすら、甚大な被害を被った一部の被災地域とその他の地域との間では認識に隔たりがあるということも講義で学んだ。

報告者はこうした問題に対し、自分には現在そして将来的に何ができるのだろうか、どのように関わることができるのだろうかという疑問へのヒントを得たいと思い、講義の最後に質問をした。専門的な科学を学んでいる立場から、科学者には福島県産の農作物の安全性等に関する証明が人々の意識の中に浸透されるよう発信することが求められており、報告者には未熟ながらもバックグラウンドを活かしてその手伝いができるのではないか、そしてそれが報告者の立場を最大限に活かすことができる福島への関わり方ではないかという考えから、「人々に伝えるときにどのようにして説得力を持たせようと考えているのですか。」という質問をした。大学時代に素粒子物理学を専攻したという田尾氏も報告者のような考えでそのバックグラウンドを活かした活動をしようとしているのではないかと思っていたが、田尾氏の答えは予想に反して「説得なんてしない。」というものであった。

初めは報告者の質問の仕方が悪く、意図した“福島への理解が進んでいない福島の外の人々への説得力”ではなく、“被災した福島の人々への説得力”をどう高めるかという意味で伝わってしまい勘違いが生じたのかと考えた。確かに、被災した人々に対しては説得などではなく個人対個人の信頼関係が重要で、田尾氏がしてきたようにそのコミュニティの中に溶け込んで同じ側に立ち、協働して活動していくことが求められていたのであろうとは思う。しかし、福島の農作物の安全性といった情報を社会・世界・一般大衆に対して発信するという場合、情報の信頼性はそれを発信する機関や携わる人間の信頼度に左右され、その指標として機関のそれまでの功績や構成員のバックグラウンドが大きな意味を持つのではないだろうか。そして、発信した情報が人々に信頼されないことで、意識を変えるといった影響を与えることができなければ、時間をかけて集めてきた研究調査の結果が十分に活かされなくなってしまいもったいないのではないかと報告者は考えた。

講義内では上記のような答えにまでしかたどり着くことはできず、納得できる答えを得ることはできなかったが、田尾氏のお言葉の意味を再考し見えてきたものがあった。それは、助けを求める人々が真に望んでいるものは何かという視点である。飯舘村の村民の方々が望んでいることは、福島の安全の科学的立証なのだろうか、協働することそれ自体だけで十分に力になれるのかもしれない。報告者には想像できていないようなことがまだまだたくさんあるのだろうと浅薄ながら想像された。

報告者は体の機能が弱くなってしまったり、一部を欠損してしまったりしたことで望む人生を生きることが困難な人々が世界にたくさんいることを知り、そういった人々を救いたいという思いを持って再生医工学研究に取り組んでいる。報告者には身近にも病気を抱える人がいるため、そういった人に求められているかどうかを意識しながら研究に取り組むことができるが、そうした意識を忘れてしまうことも多い。救うことができるのは不特定の人々ではなく一人の人間である誰かなのであり、その誰かの声に耳を傾けなければ独りよがりの研究になってしまう、講義を通じてそうした大切なことまで学ぶことができたのではないかと感じている。




「飯舘村の放射線・放射能の測り方」パンフレットを作成しました

カテゴリ: 報告日:2016/08/01 報告者:SanoTakaaki

ふくしま再生の会では、飯舘村の方をはじめ、大学や研究機関と協働して放射能や放射線の測定を続けてきました。こうした測定が、どのように行われているのかを知っていただくためのパンフレットを作成しました。
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構成はこのようになっています(クリックすると見開きイメージが見られます)
1.道路を走りながら測定する
2.家の中と周辺を測定する
3.田んぼを測定する
4.農作物を測定する
5.山林を測定する
6.野生の動植物を測定する
7.放射能を分析する
8.次のステップへのガイド

PDFファイル(A4版)は以下よりダウンロードできます。
表紙
本文(前半)
本文(後半)

まだ若干の在庫がありますので、印刷したものをご希望の方は事務局までご連絡ください。

当パンフレットの内容を転載したり、報告や発表の資料としてお使いいただく際は、出典を明示し、改変することなくお使いください。併せて事務局までお知らせくださいますようお願いいたします。(ページ下のアドレスまでメールしてください)

フェリス女学院大学スタディツアー

カテゴリ: 報告日:2016/07/30 報告者:SanoTakaaki

2016年6月11~12日、フェリス女学院大学国際交流学部の高雄綾子先生率いる「飯舘村スタディツアー」が昨年に続き行われました。
原発事故により避難を余儀なくされている飯舘村の現状を知り、復興に向け「自らできること」を考えようとの目的をもったツアーでした。
大学に戻り、「福島再生おしゃべりカフェ」企画として報告会が開催されました。

<ツアーレポート1>
今回四回目のスタディーツアーを終えて、自分の中でこれまでとは違ったツアーであり、また改めて様々なことを考えさせられるものになりました。・・・
<ツアーレポート2>
今回のスタディーツアーで初めて福島県に行き、飯舘村に到着した時 2011 年の原発の事故がなければ自分は行かなかったのかなと最初に感じた。・・・
<ツアーレポート3>
6月11日・12日、ゼミの課外活動として福島県飯舘村に行った。飯舘村について知ったきっかけは、昨年、飯舘村に行った高雄ゼミの先輩方の報告会でハチマル・ハチマルに行ったときである。・・・
<ツアーレポート4>
私は福先日福島県飯舘村に訪れ、そして多くのことを学んで帰宅した。福島県飯舘村に訪れる前は、講義を通じて被災されてから現在に至るまでの飯舘村の現状について学び、・・・
<ツアーレポート5>
大学三年生になり、高雄ゼミで飯舘村の現状について少し学んでいたがやはり自分で五感を使って行ってみないと分からないと思い今回私はこのスタディーツアーの参加を決めた。・・・
<ツアーレポート6>
私は 2016 年 6 月 11・12 日に飯舘村にスタディツアーとして初めて訪れた。私は環境学について少し興味があり、高雄先生のゼミに入ることになった。・・・
<ツアーレポート7>
2016 年 6 月 11 日〜6 月 12 日の 2 日間にわたり、震災後私は初めて福島の土地に足を踏み入れた。震災前は旅行で訪れることもあったが、原発事故が起きて以来目に見えない放射能の恐怖に怯え、日本列島を北上する勇気はなかった。・・・

SGRAふくしまスタディツアー(第5回)報告

カテゴリ: 報告日:2016/07/07 報告者:SanoTakaaki

DSC_1145 2016年5月13~15日、昨年秋に続き、5回目となる渥美国際交流財団SGRAふくしまスタディツアーのみなさんが飯舘村を訪れました。生活の再生に挑戦する人の姿に触れ、それぞれに思い、感じることがたくさんあったようです。同じくツアーで訪れていたNPO「プラチナギルドの会」や地域住民との交流会など、いつも以上に多くの出会いがありました。今回初参加となった方々のレポートが届きましたので、ご紹介いたします。

「第5回SGRAふくしまスタディツアー『飯舘村、帰還に挑む』報告」
<全相律(ジョン・サンユル)Sangryul JEON>

「忘れ難きふるさと飯舘村に寄せて」 <モリソン・リンジー・レイ Lindsay R. Morrison >
2016年5月13日〜15日の間、関口グローバル研究会の第 5 回ふくしまスタディツアーに参加しました。
私にとって初めての福島であり、3.11 以降の東北でしたので、どのようなツアーになるのか想像がつきませんでしたが、結果として非常に中身の濃い3日間となりました。学ぶことも、考え直させられたこともたくさんあったため、それらを簡単にまとめるのは難しいのですが、せめてその一部だけでもここに書き残したいと思います。
私は飯舘村に行って最初に思ったのは、「ここには放射線が出ている」と言われてもしっくり来ないということでした。周りの山は青々としており、ウグイスの透き通った鳴き声が遠くから・・・
<全文はこちら>

「見て、聞いて、知って、感じて、考えた3日間」 <宮里かをり MIYAZATO Kawori>
今回はじめて SGRA ふくしまスタディツアーに参加させて頂きました。
東日本大震災後、宮城県には何度か通いましたが、福島に足を運ぶのは初めてでした。原発、放射能とその汚染についてもあいまいな知識があるだけで、積極的に聞いたり、詳しく調べたりすることがないままでの参加でしたが、そんな私にも衝撃的でいつまでも余韻の消えない印象深い体験となりました。
このツアーが私にそれだけの印象を与えたのは、研究者視点のデータと知見、出会う人々の温かさ、熱意、真摯な姿勢、そして飯舘村の美しさ・・・
<全文はこちら>

「新たなライフスタイルを目指して」 <李 志炯(イ・ジヒョン)Lee Ji-Hyeong>
以前からふくしまの状況を自分の目で確認したいと思っていましたので、今回のツアーはとても有益でした。特に、仮設住宅に住んでいる方、自分の家に戻った方、役所の方など多様な立場から話を聞くことができたことが、何よりよかったです。しかし、多様な立場から話を聞いて逆にふくしまの再生のためにはどうすれば良いか・・・
<全文はこちら>

「知る」と「分かる」 <マックシム·ポレリ Maxime Polleri>
飯舘村に到着する前、次のような言葉を耳にしました。
「自身の研究より、飯舘村の状況を見て、聞いて、感じてください。課題や概念を考える前に、是非住民の生の声を耳にして下さい。」
これらのアドバイスを耳にし、私の想いと共鳴するものを感じました。
研究者として物事を深く知るにつれ、とかく先入観が働いてしまうものです。言い換えれば、福島の放射能汚染問題に対しても、目の前の知識だけで決め込み過ぎることは良くないこと・・・
<全文はこちら>

東京大学大学院IHSプログラム福島研修報告

カテゴリ: 報告日:2016/04/11 報告者:SanoTakaaki

2016年2月23~24日、東京大学大学院博士課程のIHSプログラムの活動として福島研修「福島における地域共同体の再生の思想」が実施されました。参加された中村彩さんの報告です。

※この記事は、東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム」のイベント報告に掲載されているものです。オリジナルは以下をご覧ください。
福島研修「福島における地域共同体の再生の思想」報告

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2016年2月23~24日、IHSプログラム・プロジェクト2の活動の枠内で福島研修「福島における地域共同体の再生の思想」が実施された。以下はその報告である。

研修は23日朝、東京から福島に向かう新幹線で、NPO「ふくしま再生の会」理事長の田尾陽一氏にお話を伺うところから始まった。飯舘村は福島県相 馬郡にある豊かな自然に恵まれ、寒暖の差を利用した稲作のほか畜産などの農業が盛んな村だった。浜通りにあるとはいえ海に面しているわけではなく、隣の南 相馬などと比べると地震による被害は少ない方だったものの、福島第一原発の北西に位置しており、放射能による被害は深刻だという。しかも原発から20キロ 圏内の地域が事故直後から避難区域に指定されたのに対し、飯舘での線量の高さは震災直後には明らかにされておらず、村の一部に屋内退避の指示が出ているだ けだった。そのため村民は避難してくる人々を受け入れる側にまわったが、その飯舘村が震災から1か月後、4月になってから計画的避難区域に指定されること となった。そのような経緯もあり村民は当初から多くの困難に見舞われた、とのことであった。今回の研修でご案内いただいた田尾氏はそういった状況のなか、 地元の方々と協同して継続的に生活と産業の再生をめざすために「ふくしま再生の会」を立ち上げ、放射線のモニタリング、除染や農業再生のための実験などを 続けている。

福島に着いて最初に訪れたのは、今でも100世帯以上の方々が集まって暮らしている福島市の松川第一仮設住宅である。震災から5年が経つ今、仮設住 宅で生活する方々が直面している様々な課題について、木幡一郎自治会長らに伺った。国は来年3月には帰村できるようにすると宣言しているが、今の状況でそ れが可能なのか疑問に思っているということ、宅地や田んぼの除染は進んでも山林を除染するのは難しいため大きな問題となっているということ、そして農業を やることができなければ職がないので経済的な不安もあることなど、様々な課題が挙げられた。最近実施された村民へのアンケート調査によれば、飯舘に帰れる ようになったら帰りたいと答えたのは全体の3分の1程度であったという。お年寄りだけではなく若い人をも呼び込んで帰村を実現するには、帰村のビジョンを 提示し誰かがロールモデルとしてそれを実践することが不可欠であり、それを行うための資金・支援が必要だとのことであった。また、最初からずっと飯舘に住 むつもりで帰村するのではなく、数年の帰村準備期間を設けたほうがいいと考えている、とのことであった。



その後、飯舘村へ移動し、元村議会議員で飯舘に将来戻るべく自宅のリフォーム等の準備を進めている菅野義人氏の家を訪れた。菅野氏の話によれば、農村では、用水路を引く、農道を作る、草を刈る、といった作業を村民が協同して行い生活していくことが不可欠だが、それを今後どうしていくのかという本質的な事柄がほとんど議論されないままになってしまっている。国は宅地だけ除染して避難指示を解除すればいい、という態度を示しているが、それでは復興はできない。また村の政治という観点からすると、今は村の収入がほとんどなく国からの資金でまかなっているが、現場の裁量で使えるお金はほぼない状況だという。縦割り行政で復興政策での住民参加はなく、地方議会では条例は施行できても立法はできないため、どうしても限界がある。菅野氏はこのように多角的に問題を検討して話してくださった。

続いて視察させていただいたのは、飯舘で唯一の帰宅困難区域である長泥地区の入口や、一部だけ機能している飯舘村の村役場のほか、村内各地で進められている「再生の会」の数々の取り組みである。農家の菅野啓一氏と協力して居久根林の汚染された木で小屋を建てて行っている実験の現場、村民が空いた時間に走らせて線量測定に協力することのできる放射線測定車、そして菅野宗夫氏の自宅で行われているスマート農業の試験栽培の様子などを見せていただいた。いずれも飯舘の農業が置かれている逆境をチャンスに変えるための革新的な取り組みであり、村の人々と外部の人々が協力すればその創意工夫と努力によってできることはまだまだたくさんある、と思わせるものばかりであった。




この日最後に訪れたのは、飯舘電力などのオフィスが入っている福島市の再生エネルギービルである。このビルには飯舘電力のほかに、ふくしま再生の会、会津電力、いいたてまでいの会など11の団体が入っており、互いに交流・協力しながら運営している。そこでは飯舘電力の小林稔社長と専務の千葉訓道氏、「山のこだわりや」であり農家の菅野宗夫氏にお会いし、飯舘の自然エネルギー事業等について伺った。

そして翌24日は、ご自身も福島のご出身である前東北大准教授の松谷基和先生の案内で、福島市に近い温泉町である土湯を訪問した。そこで地熱・小水力発電事業を行う元気アップつちゆ・つちゆ温泉エナジー株式会社・つちゆ清流エナジー株式会社の加藤勝一社長、鈴木和広主任に、土湯で発電事業が生まれるまでの経緯について話を伺うとともに、実際に発電所を見せていただいた。期待を上回る発電量を誇るという発電事業自体もすばらしいが、同時にそれを実現した方々の熱い思いとエネルギーには心を動かし人を動かす力がある、ということを感じさせられる視察であった。

震災とそれにともなう原発事故から5年を経た福島を訪れて、今の状況の問題の大きさ、課題の多さに圧倒されたり怒りを感じたりする部分もあった。飯舘村が「日本で最も美しい村連合」に加入していた村であることからもわかるように、飯舘の人々は本当に美しく豊かな自然とともに生きてきたのだと思う。その生活を奪う権利は誰にもなかったはずだが、今では村民はそこに住むことを禁じられ、代わりに汚染土を詰めた黒いフレコンバッグの山が行き場もなくいたるところにピラミッドのように積み上げられている。

そして飯舘の方々は、帰村するかしないかということのみならず、何を食べるか、子供をどの学校に行かせるかなど、今の生活のあらゆる場面で難しい選択を迫られ分断される状況に置かれている。飯舘はもともと住民が積極的に参加して自治をして運営していた村で、様々な先進的でユニークな取り組みがなされている村だったとのことだが 、事故後は国の「直轄地」とされており村の裁量でできることは非常に少ないという。そのこともあって十分に住民が議論し参加していくような政治が行われなくなってしまったということは、非常に残念に思われる。

また放射能はとりわけ若い人や子供が村に帰りづらくなる要因になっているということも改めて実感した。県外の人がボランティアや研修で飯舘に行くことに関して家族や周りの人に反対されることもあるらしく、特に印象に残っているのは、私自身が今回飯舘に来ることに関してためらいはなかったのか、ということを聞かれたことである。私としては、今の飯舘の線量で短期間の訪問であれば低いレベルの被曝であることは「再生の会」のモニタリング情報等から確認できたし、研修に参加することの方が重要だと思われた。(実際の訪問の際も積算線量計を貸していただいたが、東京にいるのとほとんど変わらない線量だった。)しかしそのことを聞かれて、やはり村の人々はそれを一番に気にしているし、それが常につきまとう問題であるということを実感した。

今回聞いた話によれば、通常、たとえば医療や科学的実験などに用いる放射性物質は厳しい管理のもとに置かれるが、福島の放射能に関して国は「環境放射能」であるから法的管理の対象にならない、と主張しているとのことであった。管理することにより継続的に福島の住民を支援しなければならないはずだが、国の復興政策はその点では明らかに不十分であるように思われる。このこと自体には怒りを覚えるし、5年が経ってなおこの状況であるということは絶望を抱かせもする。しかし一方で今回視察させていただいた様々な取り組み、そしてお会いした方々の、福島の再生は可能だと信じる力には希望を感じた。5年というのは大きな節目ではあるもののそれにとらわれず、自分に何ができるか、これからも継続的に考えていきたい。

報告日:2016年3月13日
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フェリス女学院大学飯舘村スタディツアー報告

カテゴリ: 報告日:2015/12/08 報告者:SanoTakaaki

2015年6月13~14日、9月5日~6日の2回にわたり、フェリス女学院大学国際交流学部の高雄綾子先生率いる「飯舘村スタディツアー」が行われました。
原発事故により避難を余儀なくされている飯舘村の現状を知り、復興に向けた持続可能な協働の取り組みに「自らできること」を探ろうとの目的をもっての来村でした。
大学に戻った後にも、地元のレストランとのコラボ企画を実施するなど、学んだことを積極的に発信しています。

  • 第1回ツアー (6月13~14日)OLYMPUS DIGITAL CAMERA
    【1日目】
    *宗夫さんより飯舘村のこと、事故後の経緯など説明を受ける
    *村内視察、村役場・長泥バリケード・除染仮仮置き場など
    *宗夫さん宅に戻り振り返り
    *福島市内泊
    【2日目】
    *クリーン栽培ハウスの説明、収穫体験

<第1回ツアー参加レポート(1)>
大震災以降、被災地の人々は今どんな状況でどんな思いで過ごしているのだろうと気になっていたこともあり、ずっと訪れたいと思っていました・・・
<第1回ツアー参加レポート(2)>
「飯舘村」私の地元から車で一時間程度で行ける距離であるにも関わらず、そこで行われている多くの復興作業をこの目で見たのは今回が初めてでした・・・
<第1回ツアー参加レポート(3)>
当初私は飯舘村に赴く予定ではなかった。というのは、中学時代に他の被災地に訪問した経験があるのだが、そこは寂れ人々の活気も失せていたのだ・・・

  • 第2回ツアー (9月5~6日)image1
    【1日目】
    *宗夫さんより飯舘村のこと、事故後の経緯など説明を受ける
    *村内視察、村役場・長泥バリケード・除染仮仮置き場など
    *宗夫さん宅に戻り振り返り
    *霊山センター泊
    夕食作り、小松菜のケークサレ作り、再生の会メンバーとの交流会
    【2日目】
    *前日の振り返りをもとに宗夫さん千恵子さんと質疑DSC_0259-2
    *福島市内に移動、飯舘電力訪問。小林社長インタビュー

<第2回ツアー参加レポート(1)>
大学ボランティアセンターの企画である福島の子どもたちのための保養プログラム*に参加していた。それは震災当時、高校2年生で無力であった私が大学生となってできることのひとつと思ったからであった・・・
<第2回ツアー参加レポート(2)>
大学生になり、3年間大学主催の福島の子ども達のための復興支援ボランティアに携わったが、実際に被災地に足を運ぶ機会がなかった・・・
<第2回ツアー参加レポート(3)>
私が飯舘村という土地名を耳にすることになったのはこの春からのことであった。それまで私は飯舘村が福島県にあることも、原発事故による放射能汚染の影響で全村避難になっていることも知らない状態であった・・・

SGRAふくしまスタディツアー報告

カテゴリ: 報告日:2015/12/04 報告者:SanoTakaaki

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2015年10月2~4日、渥美国際交流財団SGRAふくしまスタディツアーのみなさんが飯舘村を訪れました。
2012年より毎年行われ、今年で4回目となります。参加者の中には2回目、3回目の方もおり、再会の喜びと変わりゆく村の姿に心を動かされたようです。
初参加の宮野原勇斗さん、2回目となる李鋼哲さん、金銀恵さんの レポートが届きましたので、ご紹介いたします。

第4回SGRAふくしまスタディツアー「飯舘村、再生のジレンマを乗り越えて」報告
(渥美財団事務局長 角田英一さん)

「飯舘村、再生のジレンマを乗り越えて」 <金銀惠(きむ・うね)KIM Eun-hye>DSC_0381

私は、2011年の渥美奨学生として、東北大震災以降の、日本国内外での大混乱を生々しく経験しました。それは、一生忘れられない経験でした。その年、「石巻の炊き出し」にも参加して、震災地の住民たちの力になりたいという気持ちも少しは晴れました。一方で「福島原発事故」には、如何なる形で向き合うべきかと悩みましたが、その頃は、直後の事故収束で緊迫していて、「再生」は、まだ私の心には響かない言葉でした・・・・
<全文はこちら>

「ふくしまスタディツアーレポート」 <宮野原勇斗(みやのはら・ゆうと)MIYANOHARA Yuto>

飯舘村に行き農業をして、人と触れ合って、私が抱いた感想は想像していたよりもシンプルでポジティブなものだった。未来は明るい。素直にそう感じたのだ・・・・
<全文はこちら>

「【までい】の精神は生きている」 <李 鋼哲(り・こうてつ)Li Kotetsu>

「飯舘村の人々は原発被害に立ち向かって一所懸命闘っている。彼らは【までいの力】(「までい」とはこの地方の方言であり、漢字では「真手」と書く。両手を動かして頑張れば、いかなる困難も乗り越えられるとの意味)を発揮し、【までいの精神】でふるさとの再建に立ち向かっている。その精神に感銘を受けました。」
これは、3年前(2012年10月19~21日)にSGRA(関口グローバル研究会)の第1回福島被災地ツアーのレポートに書いた感想文の一部である・・・・
<全文はこちら>

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